午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

初雪、朝の薄明光線、ミイラ

礼文はもう雪が降っている。現在の気温は3度だ。朝、出勤している時、利尻山に薄明光線が降り注いでいた。厚い雲の端から光が差している光景は、この世のものとは思えない。

ハロウィンにちなんで、今日はミイラの格好をして子供にお菓子をあげていた。

 

華やかな夏、明媚な秋はあっという間に過ぎ去り、気がつけば長くどんよりした冬の気配がすぐそこまで来ている(本州の感覚で言えばもうとうの昔に冬になっている)。

 

気温が下がると、気分も滅入ってくる。自分自身に対する問いかけ、なぜ生きるのかという深い疑念が頭を過ぎる。一日一日、確実に死に向かっている気がする。この世は私にとって、解き難いパズルである。

 

これまで、ツァラトゥストラ的な生き方を否定して来た。日々何物かを乗り越えていたら、疲れてしまうと思ったからだ。存在することこそが、我々の義務だと思っていた。だが、そこで大きな壁にぶち当たってしまった。無気力で、中途半端というのがその壁の名前だ。

 

私には、本当に私という人間がわからない。昨日、一昨日、...生まれた日の自分が輪切りになったイカのように無数に存在していて、ひもでつながっている。私の過去や未来が、私に対してあれこれと要求する。私はどの声を聞けばよいのかわからない。それらを裁定するのが私の役割なのだろうが、生易しいことではない。

 

ただひとつわかっているのは、生きることが、生命の義務であることだ。死ぬ直前まで生きる。そのためには無数の決断をしなければならないし、勝負を仕掛け続けなければならない。それは既存の社会の価値観に対してかもしれないし、あるいはもっと別なものに対してなのかもしれない。

 

島で、自分の存在について考えを巡らす。 

 

人生は音楽とともに

小学校の学芸会練習も佳境に入ってきた。島に来て、子供たちの歌に合わせてピアノを弾く生活ももう少しで終わりだ。

 

仕事の合間に、カフェでマスターと話をする。「人生、どこで妥協できるかが大事」。70歳を過ぎた彼は言う。「まだまだ妥協はできません」。23歳の私はそう答える。

 

放課後、子供達が帰った後も学校に残ってピアノの練習をしていた。そして家に帰り、オスカー・ピーターソンジョー・パスの演奏を聴きながらコーヒーを飲む。ライブやジャムセッションは、聞いているだけで胸が躍る。音が生起するその瞬間が楽しい。まさに人生そのものだ。

 

アフリカのとある部族の村に泊まった時のことを思い出す。火を囲んで、剣を持って舞う。ギターを弾く。太鼓を叩く。そういえばあの日も星空だった。砂漠から見えた満点の星空と、礼文島の満点の星空はまた違う。けれども、生命を讃えているのは同じだ。

 

時折人生と向き合いながら、今日もひたすら踊り続ける。

天使の梯子 "Jacob's ladder"

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礼文島は寒い。今日の最高気温は7度だ。日没は早く、日の出は遅い。ついに冬の気配が忍び寄ってきたのだ。

そんなわけで、この連休も家を出ることがなく、ストーブの前でじっとしていた。しかしせっかく礼文にいるのだからと思って、スカイ岬まで車を出して日没を見届けにいった。

 

車窓から薄明光線(天使の梯子)が見えた。日没に間に合うように、車を加速させる。スカイ岬にたどり着いた頃には日没間近だったが、それでも十分に優しい光と波打つ海を見ることができた。

 

海を見ながら、自分の人生について考える。自分は何者か?と問いかける。北の果ての島は、考える時間だけはたっぷりある。

 

人間は、寿命の直前まで人間をやらなければならないのだと、隣の家に住むおばあちゃんとお茶を飲み、話をしながら思う。若さゆえかもしれないが、自分の自意識に悩まされる。

 

好む好まざるに関わらず、無理やりステージ上に立たされて踊っている。常に数秒後の筋書きを考えなければならない。そのための道具はいくつかあるのだが、それらはいまいち信用の置けないものだ。だから結局、自分の道具を発明しようともがくことになる。やっと何かをつかみかけたころに、人生は終わってしまうのだろうか。

 

秋の礼文島、あるいは満天の星空

子供たちとの学芸会の練習を終えて、家に帰ってきた。学芸会では、ピアノ伴奏を引き受けていた。車を降りると、あまりにも星空がきれいだったので、再び車に乗って澄海(すかい)岬までドライブした。

岬のベンチに寝転がって空を眺めた。見渡す限り満天の星空である。海側は遮るものがなにもない。星に囲まれて、自分が北の果ての島にいることをはじめて理解した。

 

ふとしたきっかけで、子供にショパンの『子犬のワルツ』を教えた。島にピアノを弾ける人がほとんどいないので、ピアノが弾けるというだけで重宝される。まるでガルシア・マルケス百年の孤独』のピエトロ・クレスピみたいだ。その後、子供の母親が私に鮭といくらをくれた。

 

秋の空気はとても澄んでいる。星空を見ると、自分が生きていることを自覚する。その一瞬の感動は、一生かかっても他人には伝えきれないに違いない。

礼文島と東京を往き来して感じたこと(2)

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(写真は久種湖)

東京から礼文島に帰ってきて1日が経った。島はすっかり晴れた日の秋で、2週間前の大雨が嘘のようだ。今日はウニを貰った。頭の中には、未だ東京の喧騒が残っている。

 

都市や地方、島などの土地は女性のようだと最近思った。東京はおしゃべりである。礼文は多くを語らない。それぞれに魅力があり、個性がある。人々の声、風の音、厚い雲の中に私は土地の声を聴く。土地は少しずつ私に心を開き、かと思えば突然遠ざかったりする。私は土地のことが好きだ。土地が自分のことを好きかどうかはわからない。

 

土地は秘密を持っている。その一端を覗くと、果てしない孤独が広がっているのかもしれない。

目の前の土地、世界が『存在していること』、その存在を見ている私が『存在していること』。それに勝る価値はないと私は強く信じている。

 

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夏の礼文島まとめ:

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礼文島と東京を往き来して感じたこと

東京滞在を終えて礼文島に帰ってきた。私は島の澄んだ空気と夕焼け、そして秋の静けさに迎えられた。半年間島に住んでみて東京に帰ると、東京の良いところをいくつも発見した。

 

内面的な自由。東京は、内面の自由が尊重されやすい。また、どのような生き方をしていても、ある程度許容される。横文字の職業など田舎にはない肩書きがたくさんある。生き方に形を与えられやすい。それが今の自分にとってはとても魅力的に感じた。

 

島に帰り、家に着くとすぐに、となりに住んでいるおばあちゃんがシャケをたくさん持ってきてくれた。島のいいところもあり、東京のいいところもある。結局はバランスの問題であり、何がより重要で何が重要でないかの問題、つまりは価値観の問題である。

 

東京で学生時代の知り合いにたくさんあったが、みな一様に自分の人生と真剣に向き合い、葛藤していた。そして私自身、彼らに支えられているのだと強く思った。自分は今、若さを全力疾走している。さまざまな人の人生が、自分の人生と絡み合ってゆく。そのなかで、自分は何らかの答えを出さなければならないと思う。自分は今まで、内面的な声と向き合って生きてきた。社会とは基本的にはもともと他人のために作られたものであり、自分のためではない。今ある仕事や生き方は、自分にとっては既製服だ。既製服に身体を合わせるのもひとつの方法であるし、オーダーメイドの服を作るのもまたひとつの方法だ。

 

人生、まだまだこれからだ。飛行機から空を眺めながら、ふとそう思った。

 

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