午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

天使の梯子 "Jacob's ladder"

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礼文島は寒い。今日の最高気温は7度だ。日没は早く、日の出は遅い。ついに冬の気配が忍び寄ってきたのだ。

そんなわけで、この連休も家を出ることがなく、ストーブの前でじっとしていた。しかしせっかく礼文にいるのだからと思って、スカイ岬まで車を出して日没を見届けにいった。

 

車窓から薄明光線(天使の梯子)が見えた。日没に間に合うように、車を加速させる。スカイ岬にたどり着いた頃には日没間近だったが、それでも十分に優しい光と波打つ海を見ることができた。

 

海を見ながら、自分の人生について考える。自分は何者か?と問いかける。北の果ての島は、考える時間だけはたっぷりある。

 

人間は、寿命の直前まで人間をやらなければならないのだと、隣の家に住むおばあちゃんとお茶を飲み、話をしながら思う。若さゆえかもしれないが、自分の自意識に悩まされる。

 

好む好まざるに関わらず、無理やりステージ上に立たされて踊っている。常に数秒後の筋書きを考えなければならない。そのための道具はいくつかあるのだが、それらはいまいち信用の置けないものだ。だから結局、自分の道具を発明しようともがくことになる。やっと何かをつかみかけたころに、人生は終わってしまうのだろうか。

 

秋の礼文島、あるいは満天の星空

子供たちとの学芸会の練習を終えて、家に帰ってきた。学芸会では、ピアノ伴奏を引き受けていた。車を降りると、あまりにも星空がきれいだったので、再び車に乗って澄海(すかい)岬までドライブした。

岬のベンチに寝転がって空を眺めた。見渡す限り満天の星空である。海側は遮るものがなにもない。星に囲まれて、自分が北の果ての島にいることをはじめて理解した。

 

ふとしたきっかけで、子供にショパンの『子犬のワルツ』を教えた。島にピアノを弾ける人がほとんどいないので、ピアノが弾けるというだけで重宝される。まるでガルシア・マルケス百年の孤独』のピエトロ・クレスピみたいだ。その後、子供の母親が私に鮭といくらをくれた。

 

秋の空気はとても澄んでいる。星空を見ると、自分が生きていることを自覚する。その一瞬の感動は、一生かかっても他人には伝えきれないに違いない。

礼文島と東京を往き来して感じたこと(2)

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(写真は久種湖)

東京から礼文島に帰ってきて1日が経った。島はすっかり晴れた日の秋で、2週間前の大雨が嘘のようだ。今日はウニを貰った。頭の中には、未だ東京の喧騒が残っている。

 

都市や地方、島などの土地は女性のようだと最近思った。東京はおしゃべりである。礼文は多くを語らない。それぞれに魅力があり、個性がある。人々の声、風の音、厚い雲の中に私は土地の声を聴く。土地は少しずつ私に心を開き、かと思えば突然遠ざかったりする。私は土地のことが好きだ。土地が自分のことを好きかどうかはわからない。

 

土地は秘密を持っている。その一端を覗くと、果てしない孤独が広がっているのかもしれない。

目の前の土地、世界が『存在していること』、その存在を見ている私が『存在していること』。それに勝る価値はないと私は強く信じている。

 

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夏の礼文島まとめ:

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礼文島と東京を往き来して感じたこと

東京滞在を終えて礼文島に帰ってきた。私は島の澄んだ空気と夕焼け、そして秋の静けさに迎えられた。半年間島に住んでみて東京に帰ると、東京の良いところをいくつも発見した。

 

内面的な自由。東京は、内面の自由が尊重されやすい。また、どのような生き方をしていても、ある程度許容される。横文字の職業など田舎にはない肩書きがたくさんある。生き方に形を与えられやすい。それが今の自分にとってはとても魅力的に感じた。

 

島に帰り、家に着くとすぐに、となりに住んでいるおばあちゃんがシャケをたくさん持ってきてくれた。島のいいところもあり、東京のいいところもある。結局はバランスの問題であり、何がより重要で何が重要でないかの問題、つまりは価値観の問題である。

 

東京で学生時代の知り合いにたくさんあったが、みな一様に自分の人生と真剣に向き合い、葛藤していた。そして私自身、彼らに支えられているのだと強く思った。自分は今、若さを全力疾走している。さまざまな人の人生が、自分の人生と絡み合ってゆく。そのなかで、自分は何らかの答えを出さなければならないと思う。自分は今まで、内面的な声と向き合って生きてきた。社会とは基本的にはもともと他人のために作られたものであり、自分のためではない。今ある仕事や生き方は、自分にとっては既製服だ。既製服に身体を合わせるのもひとつの方法であるし、オーダーメイドの服を作るのもまたひとつの方法だ。

 

人生、まだまだこれからだ。飛行機から空を眺めながら、ふとそう思った。

 

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障害者問題について23歳が考えてみる

久々に考え事をしたので、書き留めておく。

最近、身近な人が会社を辞めた。「発達障害」「ADHD」だったそうだ。病院で診断されるまで、自分がそうであるということ自体、彼/彼女は知らなかったらしい。彼/彼女は、診断時に障害者手帳を取得し、今後はその枠で仕事を探すという。そして連絡がつかなくなった。

 

内心、とても悔しかった。というのも、私が見る限り、彼/彼女はいたって普通で、少なくとも「障害者」ではないと強く思うからだ。彼/彼女が自身がそうであることの論拠としてあげていたことも、冷静に考えれば誰でも当てはまりそうなことばかりだ。それなのに、もうそちら側へ行ってしまうのかと思った。

 

そちら側の世界。私はとある福祉施設バイトしていたことがある。施設にはいわゆる「精神(障害)の人」たちがいた。現実問題、実務レベルにおいて施設にとって彼らは操作の対象(object)である。

施設で彼らと交わる経験の中で、様々なことに強い対して違和感を覚えた。彼らのどのあたりが障害なのか?障害(disability)とはつまり病気(disorder)のことなのか?

 

障害者とはつまり、日常生活、社会生活を送る上で、障害(barrier)がある人ということだろう。つまり、社会生活があるから障害者がいる。では、障害者があふれるような社会生活とは、果たして正しいのだろうか。するべきことは新しい福祉施設の設置や障害者雇用促進法の推進ではなくて、社会生活、その大部分を占める雇用、生産体制を矯正することではないのか。

 

低気圧で体調が悪くなる。晴れの日は気分が高まる。人間には、バイオリズムがある。漁師は海が時化っている日は家にいる。凪(なぎ)ているときに大いに漁をする。

もう少しだけ、人間が叫ぶ心の声のようなものを回収した労働の形を真剣に考えるべきではないか。「障害者」がオブフェクトではなく人間であるとの前提に立てば、自ずと答えはどこにあるのかが見えてくるはずだ。

礼文島、低気圧

朝6時半、町内放送を知らせるチャイムで目を覚めた。「本日は低気圧のため、フェリーが欠航です」。低気圧の影響で、海が大時化なのだ。ここ2週間ほど、低気圧による大雨が続いていた。お隣利尻島では「50年に一度」の大雨、稚内にも避難勧告が出ている。私の身体は低気圧にめっぽう弱いので、悪夢のような日々だった。

 

時化ている海は恐ろしい。通勤途中、灰色の荒れ狂う海を見ながら、飲み込まれてしまうのではないのかと怖れた。島の人たちは津波などこないと言うが、本当のところどうなのかは私にはわからない。ただ、私は東京からここに来て、「諦めること」を知りつつあるのかもしれない。この2週間だけでも、かなりの数の「中止」「欠航」に見舞われてきた。欠航で結構。コケコッコー。そう笑い飛ばせるようになる日も近いのかもしれない。

 

1年前にも同じようなことを書いているが、やはりこんな低気圧の日には、家にこもって普段より少しゆっくり目に淹れたコーヒーを飲みながらジャズを聴くのが一番いい。

 

礼文島まとめ:

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礼文島の夏の終わり

礼文島の華やかな夏はあっという間に過ぎ去り、気がつけば秋の空模様だ。あれほど多かった観光客の姿も減り、島の一番の特産物であるウニ漁もほぼ終わった。

 

夏の間、島の人たちはここぞとばかりに一生懸命働く。一番のかき入れ時なのだ。夏の間は、島じゅうが祭りの状態といっても言い過ぎではないのかもしれない。花火大会も終わり、気がつけば肌寒い。今、やっと、一息ついて島に来てから今までのことを振り返る余裕ができた。夏の間は、楽しむことに精一杯だった。

 

この島で今日も、全力で笑って、感動して、今を生きていた。人生は、寄り道するから楽しい。香深(カフカ)から船泊へ車を運転しながら、ぼんやりと秋の少しだけ荒れた灰色の海を見ていた。

 

夏の礼文島まとめ:

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