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雪山を歩くと...

礼文島

先週、雪山を登っていたときのことだ。私は前を歩いていたアメリカ人の後ろについていた。もともとはそんなに難しくないはずのコースだったのが、一昨年の大嵐の倒木のせいで、迂回せざるをえなかった。そして、彼は急な角度の崖のような場所を登り始めた。あまりに急すぎて、彼がいなかったら私はその場所を登ろうという発想すらなかっただろう。私は彼について難なくその傾斜を登りきって山頂に到達した。

 

この出来事=物語は以後の私の内面に微妙な影響を与えた。出来事は、私の中で「障壁だと思っていたものは実は思い込みに過ぎず、思い切ってやればできることもある」という考えに一般化された。内面化した物語は、やがて私の行動を通して外部に影響を与えることになる。自分の内面的な物語と外の世界は繋がっている。ここに自分の内面的な物語を重視する理由がある。そもそも、自分は内面を通してでしか世界を見ることができない。

 

今の自分はそろそろ、内面に向き合わなければならない時期に差し掛かっているような気がする。

 

行動にはリスクが伴う。行動しないことにもやはりリスクが伴う。自分は変化を嫌うタイプではあるが、それ以上に退屈さを嫌うタイプでもある。私はその間をいったりきたりする。

 

自分がいかにして生きればよいのか、常に問い続けているが、一向に答えは出ない。しかし4年前と比べて、問いの内容が微妙に変化している。昔は「なぜ生きるのか」であったのが、今は「いかにして生き抜くか」になった。この違いは大きい。

 

とりとめのない文章になったが、この落書きが誰かに届けばいいと思う。

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島にいた夢

考え事

2016年が終わった。私にとってはあっという間だった。

 

まるで、島にいたという長い夢を見ていたようだ。帰省した都会の空気は汚く、情報は多く、住み慣れたはずの街に強い違和感を抱いている。

 

島の生活、島の人々の価値観に同化したわけでも、賛同したわけでもない。彼らと私のものの見方は大きく異なっている。かといって、私は都会の人々が一般的に持つと信じられているのと同じ価値観を共有しているわけでもない。

 

自分の性格だろうか。都会を歩いていると、華やかな広告よりもむしろそこからこぼれ落ちてしまった人々に目がいく。それは浮浪者であったり、時代に乗り遅れた独居老人であったりする。彼らのなんとも言えない表情が私にはわかる。

 

それは、本当に彼らの声なのだろうか?おそらく、違う。

結局のところ、他人の考えていること、感じていることなどわからない。私は彼らの表情を見て、自分自身の深層から聞こえる生の声を聞いている。結局、私は、他人を媒介とした自分自身の意識の中に住んでいるだけだ。

 

それは独りよがりとは違う。独りよがりの精神的な引きこもり世界には他人が介在していない。それゆえに寒々しい、どこまでいっても空虚な世界が広がっているだけだ。その先には何もない。一方で、他人を介在した自分自身の意識世界には、生の血が通っている。温もり、声、呼吸がある。

 

自分の住み慣れた街を歩き、生暖かい夜の風を感じながら、私は果てしない孤独を覚えた。『社会』から追放されたような気になった。だが、それは生への熱望をも伴っていた。

 

「死んだように生きたくはない」それが20歳の時の自分の口癖だった。過去の自分に自らの存在の意味を問われている今、24歳の私は、その問いかけに答える覚悟ができている。死ぬ一秒前まで、自分は生きることを求め続けていきたい。不毛な被害妄想に陥ることなく、追放されてしまった苦しみや悲しみを生きることへの情熱へと転化したい。

そう決意した2017年の初日であった。

 

 

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稚内

稚内

長い12月も終わりに近づいている。私は今、礼文島での仕事を納め、実家に帰るために稚内のホテルに滞在している(稚内には空港がある)。気がつけばもう、3ヶ月以上島を出ていなかった。

 

ホテルへ向かう途中、久々に乗るタクシーに戸惑った。金を払ってサービスを受ける。このことにとてつもない疲労と緊張を感じた。礼文島にいた頃は早く都会に戻りたかったのに、都会の空気に触れた途端、自分は早くも理想化された島に帰りたいと願った。

 

稚内のフェリーターミナルにつくといつも、島での生活は夢だったのではないかと思う。それくらい現実感がない。島には裁判所も税務署もない(郵便局やコンビニはあるが)。ホテルで自分の鏡を見ると、髪が伸び放題だったことに気がつき、慌てて美容院を予約する。自分の服装が野暮ったいことにも気がつき、もっと良い服を持ってこればよかったと後悔する。

 

子供の頃から、泊まったホテルの部屋にあるメモ帳に何気ないメッセージを残しておくという変な癖がある。ベッドメイキングの人がそれを見て何か想像するところを勝手に想像するのだ。先ほど、ベッド横に置かれたメモ帳には「then,where should I go ?」と書き残した。それは私自身の心の叫びに他ならない。

 

次、自分はどこへ向かえばいい?答えは未だ、わからない。

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23歳の終わり

礼文島

今日も、礼文島には雪が降っている。11月としては異例の寒さであるらしい。最高気温がマイナス10度を下回ることもあった。

 

11月が始まるとき、隣の家に住んでいるおばあさんが「11月は一番嫌いだ」とぼやいていた。寒いし、薄暗い。12月以降の雪が降ってしまったあとよりも(気温がプラスにならないためにシーズン中溶けない雪のことを「根雪」という)、むしろ11月の方が寒い、と島の人は一様に言う。

 

日の出は7時近く、日没は4時前である。おばあさんの予言どおり、11月は地獄のように感じた。おまけに、気象庁のデータを見た限りでは、去年の11月より10度近く寒く、平均日照時間は1/4の1時間ほどだ。昨日本当に久々に青空を見た時、私は深く感動した。

 

23歳も今日で終わる。「23歳」は人工的な区分であるが、それを潜在的であれ意識して行動することで、「23歳」は現実のものとして現れる。区切りのもつ魔術的な(物語的な)力を今の私は信じている。

 

私の23歳は、まさに11月の礼文島のように苦しいものであった(あるいは11月の礼文島が私の回想に大きな影響を与えている可能性は十分にある)。それは人生の模索期、やっと社会的に「生まれた」自分がこの広い「社会」をどう生き抜いていくか、時には鏡を見ながら、あるときには未来を、過去を、別の可能性を、他人の言動の中にうつる自分自身を、自然を、そして宇宙を見上げながら考えていた。自分を規定する「物語」と時には対立し、書き換えようと試み、乗り越えようとすることで、何とか前に進もうとした。

私の22-23歳は、アフリカはスーダンのシャリフハサバッラ村で星空を見たことでニーチェ的な「超克する近代人」の無意味さを悟ってから、礼文島で生活することで結局は無意味さの連鎖から自分を救い出すのは何かを「造る」ことだけなのだと前を向く方向に回帰していく過程であった。

 

24歳がどのようになるかはわからない。ただ、私にできることは、生きること、それだけだ。

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美術館のない島で

大人になった少年は、淡い美の光を求めてどこまでも走り続けていた。彼はかつて世界中の美術館を巡った後、都会を飛び出して島に移り住んだのだ。

 

彼の突飛な行動を、あざ笑っている人もいた。以前の彼が持っていた地位や名誉を羨んでいた人間たちは、いなくなった彼の座席を指して得意げに様々なことを語った。しかし彼はあまりにも美を追い求めるのに夢中だったので、そんなことには気がまわらなかった。彼は、渡り鳥のように、自らの感性の赴くままに自由な精神で様々な場所を旅した。

 

ある朝、雲から光が差していた。大人になった少年は、赤紫色の景色のあまりの美しさに息を呑んだ。その暖かみに心癒されるのと同時に、癒されなかったものに思いを馳せた。自分が知った最新の秘密をポケットにしまって、彼は新たな美を求めて冒険の旅へと飛び立っていった。

 

 

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食べる礼文

礼文島

礼文島に住んで半年が過ぎた。最近、料理をはじめた。島に食べるところがあまりにも少ないが故だ。自炊記録をつけるために、新しいブログを立ち上げた。

 

cookingrebun.hatenablog.com

 

ぜひこちらもチェックしてほしい。

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初雪、朝の薄明光線、ミイラ

礼文島

礼文はもう雪が降っている。現在の気温は3度だ。朝、出勤している時、利尻山に薄明光線が降り注いでいた。厚い雲の端から光が差している光景は、この世のものとは思えない。

ハロウィンにちなんで、今日はミイラの格好をして子供にお菓子をあげていた。

 

華やかな夏、明媚な秋はあっという間に過ぎ去り、気がつけば長くどんよりした冬の気配がすぐそこまで来ている(本州の感覚で言えばもうとうの昔に冬になっている)。

 

気温が下がると、気分も滅入ってくる。自分自身に対する問いかけ、なぜ生きるのかという深い疑念が頭を過ぎる。一日一日、確実に死に向かっている気がする。この世は私にとって、解き難いパズルである。

 

これまで、ツァラトゥストラ的な生き方を否定して来た。日々何物かを乗り越えていたら、疲れてしまうと思ったからだ。存在することこそが、我々の義務だと思っていた。だが、そこで大きな壁にぶち当たってしまった。無気力で、中途半端というのがその壁の名前だ。

 

私には、本当に私という人間がわからない。昨日、一昨日、...生まれた日の自分が輪切りになったイカのように無数に存在していて、ひもでつながっている。私の過去や未来が、私に対してあれこれと要求する。私はどの声を聞けばよいのかわからない。それらを裁定するのが私の役割なのだろうが、生易しいことではない。

 

ただひとつわかっているのは、生きることが、生命の義務であることだ。死ぬ直前まで生きる。そのためには無数の決断をしなければならないし、勝負を仕掛け続けなければならない。それは既存の社会の価値観に対してかもしれないし、あるいはもっと別なものに対してなのかもしれない。

 

島で、自分の存在について考えを巡らす。