午後の雨

らくがき未満

街角

信号のある交差点の

向かい側に立っている
おとなしそうな可愛い女の子は
 
もしかすると
いつの日か
とんでもない男に
自分を奪い去られることを
夢見てるのかもしれない
 
大人になる前
ひどい男に騙されて
 
でもそんな男に限って
澄んだ夜の空の飛び方を
知っていたりするのだった
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雨の雫

午後の雨が、降りしきる。雨の音を聴いた場所は、東京。または、どこかの国。

 

雨が降るたびに、微妙に異なる感情を重ね合わせる。

それらは液体にもかかわらず、徐々に堆積して、ひとつの大きな塊となっている。

 

あるいは私は、悲しむために生まれてきたのか?

自らの限界を、人々の悪の根源を、残酷な自然の原理を憎むために生まれてきたのか?

 

声を、感情を、刺激を覆い隠して生きていかなければならない。

感覚に忠実に生きれば、待っているのは制裁だけだ。

 

感覚は、雨の一雫のように脆い。

しかしそれでも、自分の五感と心、色と光が何よりも大切なのだ。

 

色と光は、あくまで自由を求め続ける。

私の魂は、堆積する雨の中で、囁き続ける。

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名古屋

生き辛さを感じる。

 

どれほど「あなたは価値のある人間なのよ」と言われても、それをにわかに信じることができない。

 

この社会で、弾かれている気分になる。

それは、自分が日本社会の一定数の人々が信じている価値規範=「常識」を心の底から嫌っているからに違いない。

 

「常識」を内面化することを潜在的に強く拒絶しているからこそ、まわりの人と同じような、自然な振る舞いができない。

 

親や学校の先生の「教え」、職場の規範、「社会」の「常識」。そんなものたちは、自分のためには作られていない。

 

かといって、自分にはそれらに対抗するだけの強い心も、強固な信念も論理も才能も持ち合わせていない。

 

だから、ひたすら心が傷ついていくだけである。それは加齢と共に寛解するものだと思っていたが、むしろ年々酷くなっている気がする。もうダメなのかもしれないとすら思う。

 

文章を絞めるような、とくに明るい言葉も思い浮かばない。

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2018

「一年の計は元旦にあり」ということで、自分の生き方を再検討する。

ここでは、その目的を達成するために、大学時代の友人で現在千葉県いすみ市で地域おこし協力隊をしているAくんと比較する。

 

Aくんは自分と同様、仕事における自由を求めている。しかし、仕事に対するアプローチが違う気がする。

 

彼が目指しているのは、ハンナアレントの分類に従えば「活動」である。対して、私が求めているのは、「仕事=制作」である。

 

「活動」がエネルギーを注ぎ込む先は、人と人の間にある。対して、「仕事」が直接的にエネルギーを注ぎ込む先は、自分の内側である。

 

人と人の間に生きている自分が溜め込んだもろもろの感覚を外へ出すのだ。

 

「活動」は、直接的に他人に向かうので、その分理解されやすい。対して、「仕事」が理解されるのは、それが世に出た後である。

 

今自分がするべきことは、自分が描いた道を信じることだ。結果が出るまで10年以上かかるかもしれない。そもそも、結果が出ないうちに死んでしまうか諦めてしまうかもしれない。

 

それでも、他の可能性を手放すという大きなコストをかけながらも、自分を信じる理由はあるか。

 

私は、苦しいながらも、「ある」と応えたい。

 

自分の作品をつくればいい。自分の研究をすればいい。

 

受け流せないものがある。割り切れないものがある。それが自分の才能だと、信じるしかない。

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25

19歳でトロントへ短期の語学留学をした。

そのとき先生に将来の希望を聞かれ、「研究者になりたい」と言ったのをふと思い出した。

 

いつのまにか6年が経った。驚きである。

かなりの紆余曲折があった。

 

慣れ親しんだ東京の街を去り、北の果ての離島・礼文島で2年間を過ごした。

そして、結局私は当初の希望に向かって進みはじめた。

 

まだ、スタート地点にたってもいないのに、突然暗くなることがある。

まわりの成功している(ようにみえる)友人たちを見て焦ったりもする。

 

自分の人生のテーマ、それは20歳のときに認識したそのままだ。

 

自分にとって生きることとは表現することである。

私は芸術と科学に身を捧げたいと思っている。

 

科学とは明らかにすることであり、芸術とは隠すことである。

 

光を当てることと暗がりに隠すこと。

自分にはその両方が必要なのだ。

それで自分の内面のバランスをなんとか保つことができる。

 

自分がいかほどの人間なのかはまだわからない。

「まだわからない」のは若さの特権であると思っている。

 

とにかく、前へ進むしかない。

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東京は夜の7時

今日の気温はマイナス10度

 

長い冬の夜の始まりは

 

君に買ってもらったヘッドフォンで音楽を聴く

 

いつだかに、君が買ってくれたウイスキーとともに。

 

雪のように舞う

 

真っ暗な冬の夜の、島の記憶のかけら

 

 

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雪の夜

ひとりになった途端、夜の恐怖と底の深い寂しさに囚われる。

 

置き去りにされたような感覚、なぜ生きているのかという見たくもない問いかけ。

 

電話越しの女性は、かつて私が書いた小説を読み返したと話してくれた。それは、かつての私のすべてを封じ込めたものだった。

 

自分の思考に耽溺していると、いつのまにか同じような道に捉えられてしまう。自分一人で暮らしていると、いつのまにか似たようなものを似たような調理法で繰り返し食べるようになってしまう。そんな自身の「癖」に、今の私は飽き飽きしている。

 

人生の到達点が見えない。というかまだ、登り始めたばかりなのだ。今夜はベッドの上で踊ろう。

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